はじめまして。過敏の森のサポーターうさ耳です。私は、経済修士課程卒業後、仕事が楽しい日々でしたが、交通事故で頭部外傷後、高次脳機能障害になりました。その時から、異常に音が大きく聞こえだしました。しかし、私の聴覚過敏は、発覚に約10年かかりました。
なぜ?こんなに大きな声がきこえないの?
なぜ?自分にしか聞こえないのか?聴覚過敏もしらない私には苦痛でした。聞こえすぎることが、周囲には理解されない日々。
「おかしいことを言う。聞こえるわけがない。」
地域の医療福祉のレッテルで当初 「幻聴でしょう。」と言われ続け、多量に処方されていた時期があります。
ある日、「お母さん○○って話してた?」と、同居していた義母に聞くと、なぜ知っているのかと問われました。私は、聞きたくて聞いたのでもなく、普段も近所のお宅から義母と住民の会話も耳に入っていたことを伝えると、不思議そうな顔をされます。幻聴と決めつけられ、いやいや飲まされていた薬にも疑問が出始めたころです。
私の生まれた地域では、今も当時も、イヤーマフすら知らないような地域です。
感覚過敏を知る
その私が幼少期育った九州に行き、今の主治医や心理士と出会い、初めて感覚過敏を知ったのです。
そこでは、バスでもイヤーマフをつけていることも、ごく一般的なことでした。最初にイヤーマフと聞いたときは、冬用の防寒具だと思いました。私もまた、過敏を何も知らない一人でした。
完全防音の脳波室から聞こえる主治医や心理士の話声。ある日、主治医にそのことを言うと「聴覚過敏ではないか?」という疑惑が上がってきました。
1年かけ、過剰な処方も切り、発作止めのみ処方で現在に至ります。主治医と出会うまで、また医療が進んだ地域に出向くまで、私は周囲から「幻聴」と決めつけられてきました。自分でも過敏も知らなかったので、他の人にはなぜ聞こえないのだろうかと、不思議でした。
医療の格差や周囲の理解
医療の地域格差は患者に大きな影響を及ぼします。私の過敏は長年、幻聴とされてきました。一方で、知識と経験豊富な医師のおかげで聴覚過敏を知り、工夫して生きることが今はできています。数値化や視覚化がまだ未熟な分野では、特に医療者の知識経験の差がかなりあることを感じます。
過敏がわかるまで心理士さんたちは、私に気づかれないような検査もたくさんしてくれました。もちろん心理検査もしています。発達障害の部分もあり、事故後、高次脳機能障害で出てきた過敏もあります。
その度、「さすが耳が敏感だね。その耳を利用できないかな?」と共に試行錯誤してきました。その結果、元から得意だった運動分野での耳の利用など得たものも多くあります。
工夫を知らない時と知ってからの違いは、自覚できていることや、作業・仕事ができることです。それでも、聞こえすぎる耳は日常生活が困難です。
聴覚過敏を知り、工夫や利用を覚えていく
普段はデメリットが多い聴覚過敏。同じ聴覚過敏でも個人差があります。
聞きたくないことも防げない脳の機能と聴覚。また反対に、大勢の中で1人の会話を聞き取ることや、周囲の雑音が多すぎる場所で1つの音声を拾う困難という面から、買い物は人が少ない時間に行くなど日常の工夫もしていくことで負担が減りました。それでも、隣のレジの会話を嫌でもひろうなど苦労は多いですが、相手には見えません。
私の場合は聞こえることそのものが疲れやすい脳なので、いいことも楽しいことも、聞きたいことも聞きたくないことも大変です。高次脳機能障害により、多くの情報を処理できずにパンクしてしまうことも関係しています。聴覚過敏は、発達障害の1つの代表的なものでもありますが、発達障害以外で過敏の方もいます。
運動分野での利用
私は事故の後、得意で大好きだった運動がもうできません。絶望を感じていました。
しかし、九州移住後、障害者の運動施設を主治医から教えてもらい、実際に行くと、そこにはメディアでしか見たことのないパラリンピックの世界がごく当たりまえのようにあり、「自分もほかのスポーツに移行すれば、運動できるのかもしれない。」そんな期待が生まれました。動くことが好き。好きなことが脳をつなぐ。
私はチームには所属せず、卓球のサーブを練習し始めました。そこで、声をかけてくれた一人の男性。週に一回30分だけ、一緒に打つことになりました。卓球を始めると、主治医たちが「その敏感な耳を利用できないか?」とヒントをくれました。
その言葉1つでも、地域差を感じます。私の主治医たちは、常に
「いい方向に考える。」
「過去ではなく今からできることをしなさい。」
「マイナスをプラスに変える力」
「今に視点を置く」
など、ただ聞くだけでなく、患者の得意分野を伸ばすことを心がけてくださいました。そして、「わずかなリスクを考えたら何もできない。」など、常に前向きなのです。
優秀なスタッフたちに私は育ててもらいました。サッカーで多くの処理できなければ、もう割り切って、今から新しいものをしたらいいと。そして、水泳が発作の恐れあってダメと言われるのなら、陸でできる何かを探せばいいと。そんな経緯もあって、卓球にたどり着いたのです。
強ドライブやスマッシュ、回転が多くかかるループドライブ。説明されても、タイミングが合わない私は、耳に集中しました。
「落ちた瞬間の音と同時にラケットを振ればいいんだ!」
すると、今までわからないことが、簡単にできたのです。ブロック(スマッシュを止める)もコートに落ちる音と同時にブロック。このように、卓球という分野で聴力が利用ができ、週に一回、15分か30分の練習を続けました。
はじめてから二か月後、西日本交流大会で優勝!
短時間かつ1対1の卓球という、最高の運動を見つけられたのも周囲のサポートという整った環境あってこそです。
なぜ卓球か
集団での運動をしてきた私が、なぜ卓球に移行したか。
それは、多くの情報を処理できないことと、多くの会話の中から1つを聞き取れなくなり、集団の運動ができなくなったからです。これは、聴覚過敏だからでもあるし、高次脳機能障害になったからでもあります。目や耳からの情報が多すぎると、得意なものも難しくなるけれど、できることを探した結果が卓球だったのです。
「同時に処理できない」だから1つずつ!
1つずつならできるから、1つずつするように工夫しています。1つを終わらせて、そして次にもう1つを取り組むように工夫しています。 あれをやりながら、これをやる、というのができない のです(どう頑張ってもできない)。
「気持ち次第でできるでしょ」と言われると辛い。気持ちの問題ではない。 例えば、名前を書いている時に他のことを言われて途中で止まってしまうと、そっちの話を聞きながら名前を書くこともできないし、名前を書いていたことすら忘れてしまう時も多いです。
二兎追うものは一途も追えず状態になるのです。
そうすると、生活上、困る事が増えます。
例) <聞きながら書く>場合
分割して聞く(話してもらう)、聞き終わって書く、そしてまた聞く、喋る人に書いている間待ってもらう
例)<書きながら喋る>場合
とりあえず書く、あとから喋るからと書いている間相手に待ってもらう。書いたら話す(伝える)
脳のコンディションがよくても「同時処理」はできないのです。決して、気持ちの問題ではないのです。
過敏で疲れた時
一番、早く回復する方法は睡眠です。しかし、街中どこでも静かな場所で休めるわけではありません。交通機関が整っていればバスに避難したり、自家用車があれば、車で休むこともできますが、条件が良いところに住んでいるとも限りません。
そういうとき、過敏で疲れてしまうことの理解がもっと広まれば、選択肢も多くなると思います。実際、過敏も理解ある地域からない地域への転居は、悲惨でした。過敏を知らない時なら、わからないことですが。
過敏を知り対処もわかるのに、医療機関や公的機関に知識がなく、「大きなヘッドホンはやめてください。」など言われると地域格差に驚くばかりです。
最後に
私のように感覚過敏を知らない人たちにより、「幻覚」などのように全く別のものとされてしまうケースもあります。より多く人がまずは知ることが大切です。体験するシステムも今はあるので経験して、体験で覚えて、行動しそれに伴う対応や医療、工夫の検討。
「知覚動考(トモカクウゴコウ ・知って 覚えて 動いて 最後に考える)」
という言葉のように、まずは知ることから!!そんな、生き方が広まり、生きやすい世界が広まればよいと感じます。